[st-kaiwa5]こんばんは、スギヤマです。
僕は学生時代、社会人時代、ずっとこう考えていました。
『聞けば誰かが答えてくれる』正解だけど、実はもったいない[/st-kaiwa5]
わからないことがあれば質問してね。
会社の先輩にいつも言われていました。『ワカラナイコトガアッタラー』これは悪魔の言葉だ。
そう、こんな感じで独白します。
わからないことって、世の中にたくさんある。
例えばスギヤマのこのツイート。
【いつまで初心者問題】
ハッシュタグで、Twitter初心者とかブログ初心者とか、わからなくなってきているスギヤマ。
ブログの中級者って何だろう。どこから僕は初心者をやめられるんだろう。
多分1000人くらい行って、自分の発信を誰かが拡散してくれるようになったらかな?
そんな日々。
— スギヤマコウジ@ライター&ブログLv.1 (@sugiyamamonolog) August 14, 2020
【いつまで初心者問題】
ハッシュタグで、Twitter初心者とかブログ初心者とか、わからなくなってきているスギヤマ。
ブログの中級者って何だろう。どこから僕は初心者をやめられるんだろう。
多分1000人くらい行って、自分の発信を誰かが拡散してくれるようになったらかな?
そんな日々。
そんなん調べりゃいいし、いつかわかるだろうし、勝手に名乗ればいいのでは。と、このツイートをいま見るとわかる。
要するに誰かに質問を投げかけるというクセがある。ツイッターなんで独白ですが。それを直そうとしていたのが、いまいち抜けきっていないので僕の中でのちいさな問題です。
宇宙は無限だが、時間は有限だ。特に人間の時間は有限の最たるものだから、他人の時間も自分の時間も有限で、限りがある。その時間を無為に過ごすのか有意に過ごすのか。
誰の言葉でもない。僕の言葉。もちろん聞けば誰かが答えてくれるだろう。でも答えてくれない人もいる。僕はその人たちに聞けば無為な時間を過ごすことになる。
逆に答えてくれる人に聞けば、その人の時間を無為に過ごさせることになるんじゃないの?
今回のお話は、質問したい僕と、時間をどろぼうしたくない僕。そのあり方についてです。
この記事から、なにかを感じ取ってくれればそれだけで充分です。
この記事の概要
- 先輩が話を聞くのは仕事のためか、誰がためか
- 例えば、ツイッターのフォロワー数推移の調べ方について
- 質問したい。そんな時こそ人かヤフー知恵袋で質問する
先輩が話を聞くのは仕事のためか、誰がためか
『わからないことがあったら質問してね!』この言葉はとっても大切でとっても残酷です。
僕はこの言葉を後輩に言ったことがあり、わからないと言われたので答えました。
ですが、この言葉の解釈をしてくれる人間には3種類のタイプがあります。
それを間違うと苦しむことに。先輩という存在は便利屋さんではないのです。
僕はこのタイプだと最初は真ん中でした。次第に上に変化していきます。
[st-midasibox title=”解釈の3タイプ” fontawesome=”” bordercolor=”” color=”” bgcolor=”” borderwidth=”” borderradius=”” titleweight=”bold” myclass=””]
・『あ、これなんでも聞いていいんだ!』→こいつは悪魔です。
・『自分で調べよう。わかるまで』→いじらしいですが、問題児。
・『わかんなかったら聞けばいいや。5分は調べる』→最高。好き。
[/st-midasibox]
これも社会の縮図。
知っておくと先輩に好かれるし、自分の脳味噌で考えることができるようになりますよ。
初心者向けテンプレートを投げつけているだけ
社会人ってあたりまえですが、忙しいです。
できれば間違えないようにして欲しい、だから簡単なことをまかせます。メモなんてしなくても失敗しなけりゃそれでいい。
それでも初心者サービス、手厚いサービスをしてのちのち好かれたり、先輩風吹かせたいのでこう言います。「わからないことがあったら質問してね」。
彼らの本心はどうあれわからないことがあるから質問する。
僕は最初わからないし失敗したくないし調べたりした結果わからないので、質問しました。
「本当に調べた?」
疑うくらいなら最初から言わなきゃいいのに。
手厚い介護を期待しているなら優しい先輩に当たることを祈りましょう。
先輩は基本的にテンプレートがだいすきです。
本当に優しくて、それで効率が上がるならと思う人
あるとき、僕は自分で調べるという機能を搭載するようになりました。
スギヤマVer2.0です。今はどれくらいかはわかりません。
そのころ優しい先輩に担当が変わりました。
文句も言わず淡々と教えてくれます。教えてくれなくていいことまで教えてくれます。でもそれは今後の効率のことまで考えて教えてくれていたのです。
僕はその先輩のことを今でも尊敬していますし、たまにラインで最近どうですかー。って送ったりします。転職したらしいです。そりゃそうだ。
でも僕はその先輩の下につくことで、調べる機能が退化しました。隣にいるんだもん。
調べなくてもGoogleが。OK、先輩。このソースの意味がわかりません。
効率をあげることを目的にして教えてくれるのはいいですが、僕、調べる機能を退化させました。これじゃあない。
1年ほどたったある時、先輩がつかない状態になりました。
ついに独り立ちです。
わかることを質問するのは時間どろぼうなんじゃないのか
ついに始まる先輩ライフ。隣になんだか知らんけどきっちりした後輩が来ました。
僕は言いませんでした。「わからないことがあったら質問してね」
とはいえ初心者だからね。質問してくるんです。僕もそうだったし。
でもびっくりしました。この後輩はわかっていることを質問してくる変なやつだったんです。
僕が答えるのは
「うん、それでいいよ」「資料に書いてある通りだよ」「正しいよ」
それ聞く意味ある?
僕はこのころから、自分で考える脳味噌について考えるようになりました。
失敗してもいいレベルのことを自分で取り組むって、大事。
例えば、ツイッターのフォロワー数推移の調べ方について
話は少しだけ変わります。
パソコンが苦手な友人がいて、Officeのインストールの方法を尋ねてくる人がいました。
思いっきり、説明書を手にしながら。
それってなんでしょう。僕にやれってことですか?
仲がいいので、まあいいです。パソコンが苦手だししょうがない。でも説明書あったらそれでよくないかい?でも結局僕がリモートでやりました。
見事な時間どろぼうです。素敵。
さて、ではタイトルに戻りましょう。
ツイッターのフォロワー数の推移を調べるのに、あなたはどうするのでしょうか。
Googleで調べれば、SocialDogでわかることを知る
最近流行のSocialDogです。これがあれば推移を調べることなんて造作もない。
知りたいことを検索するだけ、自分で調べて、自分で解決する。
OKグーグル。
僕は今Siriに尋ねたら、すぐに回答してくれました。Siriで、ググれ。
世の中はこんなに発展していて、なんだかちょっと孤独を感じます。
ちなみに僕は友達何人?という質問にはあさっての回答が来ました。
Siriは友達らしいので、最低でも2人は友達がいるようです。嬉しいなぁ。
僕はなんとか今日も時間どろぼうをせずに済みました。
Siriがともだちでよかった。
目の前のツイッターで調べることもできる
ツイッターのことはツイッターで。
郷に入っては郷に従えってやつなので、人に聞かずとも、検索すれば出てくる。
フォロワーの質がいい人、教えてくれる人はたくさん教えてくれるのです。
時間どろぼうとはいいましたが、教えたい人にとってそれは時間どろぼうなんでしょうか?
教えるのが趣味な人にとっては時間どろぼうの定義から外れてもいいのかな。と思います。
結果、時間どろぼうしてしまった。あるいは時間どろぼうされた。
というのは主観でしかない。客観的に時間どろぼうだろっていっても、本人たちが満足してればそれで良かったりする。
時間どろぼうの定義って、よくかんがえると難しい。
私の頭の中で、会話は終わっている
僕の最近の流行ですが。
仲の良いともだちだと、無駄な会話をしなくなりました。
ミニ友達が脳内で会話してくれるのです。
『〜について知りたいんだけど、これってこうだよね〜』『うん』
現実で電話をして確認したらその通りになりました。僕らの会話は実は9割終わっている。なので、仲の良い人との電話は減っていく一方です。
必要なことだけ、伝えたいことだけ、悩んでいるときに後押ししてほしいことだけ。
僕はこれについて語りたいがために、時間どろぼうという題名を付けたのかもしれない。
話をする前に、会話は終わっているのです。要するに確認です。
それが最近、もしかして無駄なのかも、と思ってしまった。
だから僕は考えました、これは時間どろぼうという概念なのでは。
後押しして欲しいなら、そういえばいいのです。
質問したい。そんな時こそ人かヤフー知恵袋で質問する
自分で考えるのも嫌だ。調べるのも面倒。後押しもしてほしい。
質問がしたい。質問すれば楽だし何も考えたくない。てかなにも考えてない。
そこまで行ったら聞いちゃいましょう。オススメはヤフー知恵袋。
あそこは教えたい人でたくさん溢れています。心ない言葉ももらうかもしれませんが。それもまた楽しい。
まとめサイトに乗ることだってあります。もはやネタの宝庫。
僕は真剣な話をしている。真剣にわからないんだ。
そういう時こそ人間の出番だと、僕は思います。
調べて調べてわからないこと。曖昧なことは人に聞くしかない
僕だって人間です。わからないことがあればできるだけ調べ物はGoogleに聞く。
聞けばブログがすでに書かれていて専門的なことも書いてあって、自分が書こうとしていることがすでに専門的に書かれていて心が折れる。
ここまでがワンセット。
でもGoogleにだってわからないこともある。友人の心の機微だとか、実際に人を傷つけたときの対応とか。あまりに抽象的だったり専門的なこと。近しい人にしかわからないこと。
そういう時は、諦めて人に聞く。
僕は時間どろぼうになるのはいやだ、と思いつつ。結局人間というものの素晴らしさに感嘆します。曖昧なことを答えられるのは人だけです。
だからとってもコミュニケーションって楽しいんですよね。
人と人の許し合い。有益か無益かも大事だけど話したい
ここまで、時間どろぼうについて自分の思いを吐き出してきました。
なんだかんだ僕自身時間どろぼうを無意識にやってしまっています。
こないだ友人と話した時、最後に時間どろぼうしてしまって、ごめんー。っていったら、それもいいんじゃないの。時間どろぼうってよくわからんといってくれました。
意味あることだけが大事じゃないのかなーとおもいつつ。人の時間をもらってしまったとも思う。よく考えたら自分の時間もあげたことになるのか?
だからそう、許してくれる人にはせっかくなので時間をちょうだいしましょう。
そういう人だって、本当に忙しかったら相手にしてくれないものです。
話もしたい、ついでに質問もしたい。それは有意だからする
SNSをやっていて、最近疲れます。
でも思うことは、話もしたい、ついでに知りたいことも知れる。ということ。
正直ツイッター アプリを使っている時間の統計を取ったら1日の時間の大半を使っていたので、こいつが本当の時間どろぼうだということがさっき分かったのですが。
でもなんて有意義な時間なんだろうとおもう。孤独と忙しないのとビジネスでのお付き合いがあるのが難点ですが。
ソーシャルな場所なので、結局は社交場なのですね。
僕は社交性が実際は低いので、ちょっと勉強する場所かなと思っています。
この記事をここまで読んでくれた人は今頃、で、何が言いたいの?ってなってるかも。
つまり、時間どろぼうとはこういうことです。
時間は誰にも平等。選択権も同じ。自分のあり方を選ぶ
今回は「時間どろぼうについて僕が思うこと」という内容で書いてみました。
時間って結局有限なので、その使い方は個人の問題。結局時間どろぼうしないようにしよう。って思いつつ、やってしまうものです。悲しきかな。
でもそれを選択するのも自分。許してくれるのも相手の選択。
あんまりにも無駄なものは時間どろぼうなので、それは避けたいですが。
自分がいて、世界中に人がいる。その人たちが同じ時間軸の中にいて、もしくはちょっとずれた時間から来た人もいるかもしれませんが、お話ができる。
言葉やコミュニケーションって、本当に素敵ですね。
時間どろぼうされたくない人は、注意して選択すればいい。
それでも楽しい人はそのまま続けて行って欲しい。
僕は、注意して人の時間をもらって、自分の時間と交換したいと思います。
誰もが同じだけど、誰もが時間に対して同じ考えではない。
期限が決まっているから、価値も違う。
時間って不思議な存在です。
他のLifeの記事は下記にまとめていますので、ご活用ください。
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